東京帝国大学第二工学部の検証

東京帝国大学第二工学部は、そもそも戦時下における工学研究ニーズの高まりを受けて設立されたものである。

戦時下における第二工学部の教育・研究について、その特殊性を含めて、究明してゆくことは、現在の工学研究の倫理・使命を確認する上でも極めて重要な意味を持つ。

現在、本郷の工学部における各学科の沿革史において、第二工学部の歴史は必ずしも十分に触れられているとは言えないのは、いささか残念な点である。現在の生産技術研究所は学部教育を行わない機関であるが、第二工学部は学部教育を担う第一工学部と同等の機関であり、戦後、日本の発展を担った数多くの技術者を輩出した。第二工学部の自由な学風がユニークな技術者を育成したと言われる事例も少なくない。

第二工学部における教育・研究および、その卒業生たちの社会における活躍の諸相を各学科の沿革史[i]に明確に位置付けて行くためにも、共通第三教室棟および応用化学棟の一部建物の歴史を検証することは重要な意味を有する。

なお、生産技術研究所が六本木に所在した際に使用した旧陸軍歩兵第三聯隊兵舎の一部は国立新美術館別館として現存しており、生産技術研究所の沿革史の一端を含む歴史を伝える場(史料)としての役割を担っている。


[i] 既往の書籍・文献資料の代表的なものとしては以下が挙げられる。

*今岡和彦『東京大学第二工学部』講談社 1987年

*大山達雄・前田正史『東京大学第二工学部の光芒: 現代高等教育への示唆』東京大学出版会 2014年

*中野明『東京大学第二工学部――なぜ、9年間で消えたのか』 祥伝社新書 2015年

*生産研HP 第二工学部の思い出 投稿文