建物の特徴

1). 全体計画
旧共通第三教室棟(下記配置図25)は木造2階建で、両端に平家建が接続する形式である。一見、コの字型の配置に見えるが、平家建部分の屋根は2階建部分の屋根とは切り離されている。これは、古茂田甲午郎らの推奨に従い、コの字型を避け、風たまりを作らないよう配慮したものと思われる。
一方、旧応用化学棟(下記配置図24)は、昭和19(1944)年に火災で建物の約1/3を失うまでは、コの字型の建物であった。
そのほか、第二工学部キャンパス内の建物の配置図を見ると、本館は裏側に若干の張出しがあり、造兵学教室棟と土木工学教室は中央に張出しのある十字型、航空原動学教室第一棟と航空機体学教室棟第一棟はL字など、微妙に形が違っており、二つとして同じ形がないところは、むしろ驚きである。

東京帝国大学第二工学部開学記念絵葉書 包紙

2). 寸法体系
設計寸法は、メートル法が使われている。しかし、部材寸法は尺寸である。柱間寸法や階高といった主要寸法をメートル法おさえ、それを基準にして、尺寸寸法の部材を配置していったものと考えられる。
2種の尺度がどのようにして使い分けられていたかを確認することにより、日本における設計寸法の尺寸からメートル法への移行に関して重要な知見が得られると考えられる。

3). 方杖
建物内部でまず、目につくのは各所につけられた方杖である。方杖について古茂田甲午郎は、従来の和式構造では教室内部等に見えないように隠蔽されていたのに対し、十分な長さで踏張らせるべき旨、述べている[i] 。昭和10年代に建設された現存木造学校建築でも廊下および教室内に方杖が設置されていることが多く、第二工学部校舎の方杖もそれらと同じ特徴を有すると言える。
だが、共通第三教室棟端部平家建部分のスパン12.8mの部屋において独立柱の四方に方杖が取り付けられている。平家建部分は分析室となっており、ドラフト・チャンバーが設置されるなど、広さを要するものであったことから、大スパンを飛ばすための工夫と思われる。なお、この独立柱は柱2本の抱合せ柱となっている。
さらに、旧応用化学棟1階には、巨大な逆三角形型の壁柱と、床まで到達する巨大方杖がある。これらは、ほかにほとんど類例を見ないものと思われる。

4). 防火壁
旧応用化学棟の南側妻面には白塗りの壁が聳える。これは、木造壁にモルタル塗を施した防火壁で、2階には防火シャッターの痕跡が見える。昭和19(1944)年、旧応用化学棟は火災により建物の半分が焼失した。防火壁は火災の延焼を防ぎ、建物の約1/3を救ったのである。

5). 窓
引違いの欄間付き窓が、天井ぎりぎりの高さまで取られている。古茂田甲午郎『高等建築学』では「木造校舎の場合には、柱に対する方杖の露出を厭わずに胴差又は敷桁下端まで、可及的窓を引揚ぐべきである」[ii] と述べており、この推奨に従ったものである。とくに、旧共通第三教室棟平家建部分の北側分析室では2面採光となっており、一方には人造石研出しの造付机も設置されている。北側の安定した光のもと、分析実験が行われていたものと思われる。

6). 外壁・軒裏・内壁・天井・床仕上
昭和12(1937)年頃までは石綿スレートやベニヤで仕上げられることが多かったが、昭和13(1938)年の国家総動員法が制定されてからは、工業製品の使用が困難となった [iii]。 第二工学部校舎では、外壁は杉板下見板張にペンキ塗仕上、内部の壁は一般的なところでは大壁漆喰塗、天井は繊維質ボード押縁打ちである。しかし、実験室・分析室では壁・天井ともにラス張モルタル塗セメント剤吹付となっている。床についても、一部の部屋ではコンクリート叩きとなっており、実験室等には必要な配慮がなされていたことが分かる。これらの仕様については、設計図と現況を照合し、また、同年代に建てられた他の木造建築と比較することでその詳細をより明らかにすることが望ましい。

旧共通第三教室棟 外壁下見板張

7). 小屋組
小屋組は丸太梁に束立てとなっており、丸太梁から直接天井材が吊り下げられている。「東京市立小学校木造校舎構造規格」[iv] では、製材によるトラス構造となっているが、丸太材の使用はできるだけ大きな部材を断面欠損なく使おうという戦時下ならではの工夫かと思われる。
丸太材は「あて材」と呼ばれる根曲り材も使われている。梁と梁の交差する部分は互いがきちんと噛み合うように巧みな加工がなされている。さらに、製材でも、「追っ掛大栓継」と呼ばれる日本の伝統的な大工技術の「継手・仕口」が使われている。
各実験室、分析室および、それらと教務室との間には小屋裏にも防火壁が設置され、防災にも配慮がなされていたことが窺える。こうした、木造校舎における防災計画についても、設計図と現況を照合し、また、同年代に建てられた他の木造建築と比較することでその詳細をより明らかにすることが望ましい。

8). 設備
分析室、試薬調整室、硫化水素室にはドラフト・チャンバーが設置されている。
ドラフト・チャンバーの仕様については、建築学会が発行した『学校建築参考図集』に東京帝国大学工学部4号館(昭和2(1927)年竣工・内田祥三設計)のドラフト・チャンバー詳細図が掲載されているが、これとほぼ仕様は同じものである。ドラフト・チャンバーは、第五高等中学校化学実験場(明治22(1889)年竣工・現熊本大学五高化学実験場)にはアルコールランプにより上昇気流を起こす方式のドラフト・チャンバー、学習院大学旧理科教場(昭和2(1927)年竣工・現南1号館)ではガスバーナー燃焼式出窓型ドラフト・チャンバーが現存するが [v]、第二工学部の木造校舎では送風機が取り付けられていたと見られる。機械換気システムを有するドラフト・チャンバーとしては現存最古級の可能性がある。

建築学参考図刊行委員会 編『学校建築参考図集』, 昭和9年, p. 56
 東京帝國大學工學部4號館 東大原圖ヨリ製圖
「大学化学実験室 ドラフト・チャンバー詳細及外景」
ドラフト・チャンバーの設計図
東京帝国大学第二工学部 教室建物一部新営(其ノ三)工事設計図 詳細図(2) 8-8
(東京大学所蔵)

[i] 藤岡洋保, 藤川明日香「東京市立小学校木造校舎の設計規格」『日本建築学会計画系論文集』1999 年 64 巻 515 号 p. 251-258のp. 254に指摘のとおり、古茂田甲午郎, 拓殖芳男『高等建築学』第20巻第44編「学校」,1935年, p. 41には以下の記述がある。
「所でここに特に注意すべきは、従来の木造校舎の設計例では、教室其他室の内部に、和式構造には曾て見なかった所の方杖が飛出して居る事を甚だ異様のものとし、その漸く之を使用するものでも、その長さは甚だ短く、苦心して天井裏に隠蔽せんとする傾向が顕著だった事である。之は天井高と外壁窓上縁とに無関係に、十分の長さを以て踏張らしむべきである。」

[ii] 古茂田甲午郎, 拓殖芳男『高等建築学』第20巻第44編「学校」,1935年, p. 134

[iii] 藤岡洋保, 藤川明日香「東京市立小学校木造校舎の設計規格」『日本建築学会計画系論文集』1999 年 64 巻 515 号 p. 251-258の p. 255

[iv] 古茂田甲午郎, 拓殖芳男『高等建築学』第20巻第44編「学校」, 1935年, p. 47

[v] 杉山経子「学習院・旧理科特別教場に設置されたドラフトチャンバーについての一考察 : 学習院大学目白キャンパスの当初計画に関する研究6」『日本建築学会 学術講演梗概集. F-2, 建築歴史・意匠』 2010年, pp.431-432参照